みいちゃんのあいのわ!

人が大好き、歌が大好き

みいちゃんのあいのわ!A Whiter Shade of Pale by Procol Harum

今日の天気。なんとも言い難い!
朝は、スプリンクリング(霧雨)。今は、風が少々ある青空。気温は低い。
最近の天気は、読む事ができない。夜テニスも何度となく、キャンセル。キャンセルにならずとも、霧雨の中、汗なのか雨なのか、分からないまま試合をする事が日常茶飯事。私のチームメートは、眼鏡をかけているため、霧雨は、彼女のテニスのパフォーマンスにかなりの悪影響を及ぼすとか。他人事として聞けない彼女の可愛らしい体験談、いとおかし!

 

今日は、私の自由な想像の中で描かれたみいちゃんのあいのわ!の中心人物のみいちゃんの弟についてお伝えしたい。年の違いは、5つ。だから、みいちゃんにとって、弟は、昔から可愛い存在!時々、息子とこんがらがる。共に、私にとっては、可愛い存在、しかも、彼らは成長して立派な大人の男性となり、自立して社会貢献しているからだ。素晴らしい。

 

小さな頃、兄とは、泊まりがけのスキースクールや、水泳、エレクトーン、習字、そろばん等、習い事や、学校、塾に一緒に行っていた。私は、兄に追いつき、追い越したいために一生懸命、物事に取り込んできたのを覚えている。

兄に比べると、年の差が大きい事が原因のため、弟との思い出は比較的少ない。それでも、両親のご実家を訪れたり、スキーや海水浴、キャンプ等、家族で一緒に過ごした思い出は、たくさん残っている。今でも、忘れない思い出の一つ。奥尻島にキャンプに行った時、私は、夕飯を調理していた母に代わって、弟を見ながら海で遊んでいた。大きな岩がゴロゴロあった海で、大波に弟が打たれて岩でお腹を切ってしまった事、悔やまれる。その後、1993年、奥尻島で大きな地震があった事を知り、さらに心を痛めた。

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弟は、物心がついた時から、アイスホッケーに没頭する毎日を過ごし、両親も末っ子の弟に可能な限りのサポートを色々な形で行い、応援してきた。彼の努力も実り、東京の6大学の一つの大学にスポーツ推薦で入学し、その後は、女性雑誌Classyに一度写真と共に載り、アメリカに住んでいた私は、紀伊国屋書店で雑誌をオーダーし、弟の記事を何度も眺めていたのを思い出す。兄と同様、私にとって弟も人として素敵な存在!キラキラしている。その後は、東京に残り、大手企業に就職。2020年6月の兄の死去後、2022年7月に退職。その後は、東京近郊と私の両親が暮らす北海道とを行き来する毎日。兄に代わり、両親のお世話や両親が経営していたビジネスをサポートしながら、自身のご家族を支える大事な役割をこなしてくれている。敬意と感謝の気持ちしか浮かんで来ない。

若い時には、そんな彼の人生、ラッキーの連続で羨ましく思ったこともある。しかしながら、今は、理解している。彼は、アイズホッケーというスポーツを通して、人生を学び、徳を積んできたのだ。チームスポーツの中での自分の立場、役割を理解し、自分の持って生まれた感性と才能を磨き、周囲とのコミュニケーションを大切に友人、恩師、職場関係者達と信頼に基づく人間関係を築いてきたのだ。まずは、人を頼らず、自分でできるところまでやってみる。それでも、できないときは、周りが自然と助けてくれる。そんな人格を持った弟のように、姉は思う。彼が築いてきた人望の厚さが伝わる。暖かい。
 


そんな弟は、何を思ったのか、アメリカに一人で旅行に来た。2004年9月の事だ。私は、4歳の息子とグランパをお世話しなくてはならない立場でいたので、弟にどれだけ時間を割けるか正直不安だった。しかし、肩透かされた。弟は、一人で、LAXに来て、その後は、Greyhound の長距離バスのスケジュールを調べ、バスに乗り、一人で行きたいところにバックパッカーとして自由に旅をしたのである。彼が、アメリカを出発する前夜、うちに泊まり、一人旅の感想を笑顔で話してくれたのを今でも覚えている。その後、見つけた置き手紙。引き出しの中に日本の家族の思い出の品の一つに大事にしまってあった。弟さん、20年前だよ!

弟からの置き手紙 Sep 2004

若い時に彼が見て聞いたアメリカへの、そしてアメリカ人への純粋な思いが語られたお手紙だった。そっか、私も、おしゃべりと思われているのだろう。私の家族は、良くも悪くも、みんな正直、純粋、一生懸命、努力をいとわない、人が大好き、アクテイブ、好奇心旺盛、open minded、等々、まだまだ、基本的に共通する人格について言葉で表現できることは、多くある。

ブログもそう、お手紙、Email、テキストなどの媒体をとして、自分の思いを文字を用いて可視化して、相手にメッセージを伝えるという行為は、とても素敵で愛おしく思う。弟さん、改めてお手紙、ありがとう!

昨日のブログで紹介したWe're All Alone と弟の手紙に書いてある青い影と記憶上混同していた。しかし、両方の曲は、素晴らしく、私が、小学生の頃、好きで一生懸命練習していた曲達。障子1枚で区切られたエレクトーンのあった私のお部屋と家族団欒の茶の間。さぞ、私の家族達は、私が、大きな音で練習していたエレクトーン、耳触りだったであろう。過去の話として、どうか笑い飛ばしてね!これもみいちゃんの愛嬌!

青い影、A Whiter Shade of Pale。UKバンドProcol Harumの代表曲。1967年に作られたそうだ。どの映像をご紹介しようか探していたけど、これにした。理由は、今は、70歳前後の方々の青春の時代にこの歌がどれだけ愛されていたかを知ったから。素敵だ!どうか、彼らの歌を聴きながら、コメント欄も参照して頂きたい。

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この曲に関する記事も見つけた。なぜかというと、この曲は、オルガンの音をはじめ、懐かしく、心地の良いメロディーで、60年代の代表曲。しかし、歌詞の意味がわからない、日本語の良い訳が見つからない、という意見が多数あった事を知ったからだ。同感である。共感すら湧いてこない。私がピュアな心でエレクトーンでこの青い影を練習していた頃、この曲の詩の意味がわからなくて、本当によかった。

私は、この曲の詩に関する私見は述べない。しかし、ヒットソングを生むために必要な要素が記載されたこの記事に注目し、人間の生まれながらに持っている限りない神秘性や可能性に改めて感動した。

https://americansongwriter.com/lyric-week-procol-harum-whiter-shade-pale/#:~:text=I%20was%20trying%20to%20conjure,drunken%20sexual%20escapade%20gone%20awry.


ヒットソングを生むためには以下の要素のコンボがピュアマジックとして必要であると。
Talent
Inspiration
Luck
Some sort of pixie dust
お洒落だなあ。