みいちゃんのあいのわ!

人が大好き、歌が大好き

みいちゃんのあいのわ!We're All Alone by Reba McEntire & Jon Secada

アメリカ カリフォルニア州のオレンジ郡、今日の天気も曇り。昨夜、楽しみにいていた満月も見る事が出来ず。これも、自分では、コントロールできない事、気にしない、気にしない。

みいちゃんは、身体を動かすアクティビテイーが大好き。昔は、口数は少ないが、有言実行の人生を送ってきた。今は、インナーボイスが大人しくしていない。

テニスは、私が、10年以上続けてきたアクティビテイーの一つで、私のアメリカ生活でたくさんの健康と喜び、友人、学びを得た貴重なスポーツ。

テニスとの出会いは、私が小さな頃、母が、軟式テニスをしていた事。母は、前衛で、ネットプレーを上手にしていたのを朧げに覚えている。私は、中学に入り、軟式テニス部に入った。北海道の鉄鋼の小さな町では、硬式テニスの機会はほぼなかった。当時、私は、市内で優勝し、札幌で行われた地区大会に参加したのを覚えている。同じ市内の他の学校のテニスコーチが、彼の働く学校の生徒さんと、私と私のテニスパートナーを車で2−3時間かけて連れて行ってくれた。高速道路は、冬の吹雪で視界がほぼない中、よく私達ガールズを連れて行って下さったものだ。いい思い出!

もう一つ、中学テニス時代での思い出は、今は、亡き兄。二つ上の兄は、当時、少年隊の東山に似ていると人気者だった。そんな兄を持つ私は、至って平凡。テニスコートで練習していると、先輩から、みいちゃんのお兄ちゃんが、彼女と歩いているよと、何度言われた事か。そんな兄を誇りに思っていた。同時に、幼稚園から高校まで、いつも私は、かっこいいそして頭のよい兄と比較され続ける人生。そんな兄や人生が、私にプレゼントしてくれたのは、スポーツマンシップ、competitiveである事、人生のチャレンジを乗り越える原動力などど、私の根幹とも言えるものではないだろうか。

時々、私は、兄と前世の繋がりを感じるような錯覚に陥る。兄と私は、何かこの世での役割を一緒に果たすためにきょうだいとして生を得たのではないのではないかと。そう考えると自然に、その役割、この世での業は何なのだろうかと考えてしまう。

50歳のお誕生日を迎え、その月に急遽してしまった兄と日本の家族の写真を前に、掌を合わせるのが朝の習慣の一つ。兄の事を思い出さない日はない。何を思って志半ばで天に召されたのかよく考える。

兄が亡くなる前、もしかしたら、彼自身、自分の死が近いことを知っていたのかもしれないと思うことがある。普段は、クールに自分のお仕事をこなしていたように見えた兄が、死の直前半年前に突然E-mailを送ってくれた。その中の一つは、次は、みいちゃんの番、と。当時、兄は、年老いてきた両親が経営していたビジネスを父の片腕となり、経営者として働いていた。同時に、市議会議員として2期活躍して、市民の皆様のために、政治力を味方に付け、未来の市の在り方を念頭にしながら献身的にまちづくりをしてきたように私には映っていた。そんな中、母や兄から、父と兄の確執の間柄を心が痛みながら見たり、聞いたりしていた。私にとっては、どっちも大切な存在でどっちもいい人。2人が一生懸命生きるからこそ生じる確執のように感じていた。

 

兄は、そんな親子の確執に嫌気が差していたのかもしれない。だから、私へ送ってくれた数少ないE-mail の中で、今度はみいちゃんの番、父を面倒見るのは、私の番と。兄が亡くなったのは、2020年 6月。私は、当時、旦那様の経営、マネージする会社のお手伝いで毎日、忙しく過ごし、それ以外をこなす余裕がなかった。それも、兄は、充分承知していたのだと思う。一度、みいちゃんの番とのメッセージの後は、改めて、自分で父との確執に耐えながらも仕事を続けていく選択をしたように感じられた。何度か交換したE-mailの後半は、兄の娘と過ごす父の喜びを表した内容のメッセージに切り替わっていたからだ。切ない。

 

兄が亡くなり、母や弟から父のことを聞くことがある。父は、娘の私には見せない何かを周囲で暮らす母や弟に見せているような気がする。それは、時々、母や弟が解釈する父の印象と私のそれと異なる会話が存在するからだ。私には、それは、よくわからない。言葉で表現するならば、情や念のようなものかもしれない。

そう考えると、兄と私に与えられたこの世での業は、そのような家族内で存在する情や念を断ち切るためなのではないかと思う時がある。兄は、自らの命を終えることで、志半ば、そのような関係性を断ち切ったのかもしれないと。


私は、物理的には、日本の家族と共に、住んではいない。しかし、旦那様とは、物理的にも社会的にも立場的には妻として存在しいている。しかし、先のブログにも書いたように、旦那様との日頃の何気ないすれ違いは、私には、生きるための原動力だったり、笑顔だったり、幸福感、健康感を与えてくれるものでは、決してない。きっと、このような言葉では表現するのが至って難しい感情を持ちながら、兄は、生き急ぐ人生をせざるを得なかったのではないか、と思う時がある。

 

私のpossible twins は、命を懸けて私にメッセージを届けた後、私の体外へと離れてしまった。その後、私は、お友達にどのようにして、私は、彼らを弔うといいの?と尋ねた時、彼らに命名することを提案された。私は、そらちゃん、うちゅうちゃんという抽象的な名前を選んだ。

49日に私の夢に現れ、天に召された兄やpossible twinsの 小さな命達を想う時、私は、宇宙との繋がり、スピリチュアル的な何かを感じる時がある。それは、私が、この世での業を終える事が無事できれば、兄やそらちゃん、うちゅうちゃんにまた出会えるような気がするからだ。そして、はじめて自分自身=Innner Self の健康と幸福感を得ることができるような気がするからだ。どちらが先に訪れるのかわからない。希望があるのみ。

 

私の尊敬する方から教えて頂いた貴重な禅のお言葉。

晴れて良し曇りても良し富士の山

諸説ある中、私は、丸川さんの解釈が自然に心に入るのを感じます。どうぞ、お時間がございます時、この禅のお言葉をご自分なりに解釈なさってみて頂きたい。

https://ningenzenrous.jugem.jp/?day=20210406


私は、この禅のお言葉にある富士山を自由に想像しながら、自分軸をしっかり持ち、本質を見て感じることができるピュアな心を大事にし、自分=Innner Self の心身の健康と喜びにフォーカスした人生の選択を、その自由がある限りしていき、後悔のない後半の人生を送りたい。

今は亡き、兄やPossible twins もみいちゃんのあいのわ!のコアの近い部分で存在しているのは確かである。ありがとう!

 

今日は、私の小さな頃から大好きな歌をお届け!弟も知っているはず。覚えているかな?
We're All Alone

バックグランドに関心を示さず、人間の本質を見て信頼関係を基に人間関係を築いていく事を大切に過ごすみいちゃん。言葉や人種、性別、歌のジャンル等は、違うけど、歌を愛するこの2人のパフォーマンスは素敵です。このようにお互いのバックグランドなど関係なく、お互いに理解し合える世の中が来るといいなあ、近いうちに!

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