みいちゃんのあいのわ!

人が大好き、歌が大好き

みいちゃんのあいのわ!26 Miles by The Four Preps

今日は、5月26日。私の義父 通称グランパが亡くなった日。彼とのお別れは、13年前。朝から、もしかしたらグランパが、お家に来てくれているかもしれないと、彼がご飯を食べるときに使用していたテーブルにお花を飾り、車椅子でもテーブルにつけるように椅子をよかしたり、準備をした。彼が、車椅子で動く度に、ゴムの軋む音が聞こえていた。懐かしい。

 

以前にも申し上げたが、私は、グランパが大好きだ。正直、旦那様を大好きかと聞かれると即答出来ない。しかし、グランパを好きか?と誰かに聞かれたら大好きだと即答出来る。

彼らは、同じ血筋。何が違うのだろうと今日テニスに行く前に考えた。結局、出た答えは、グランパは人を喜ばせるのが得意、チャーミング、歌が好き、人との交流が好き、生命力がある、素直である、賢い、自尊心を持っている、感情表現がストレート、オープンマインド、嘘をつかない (つけない)、等々、沢山良いところを言える。彼からは、息子を通して無性の愛を学んだ。きっと彼は、心が綺麗だったから周りを幸せにする笑顔が出来たのだろうと思う。だから、私の日本の家族も何回かしかお会いした事はなくても、グランパのことは褒めちぎってくれていた。写真を通してしかグランパを見た事がない私の亡くなった祖母も、グランパは、ハンサムでみいちゃんと息子にとっては、いい存在ね、と言って下さったのを覚えている。

その反面、旦那様はというと、正直、彼のことをよく知らないような気がする。薬の服用が長かったので、薬が効いていた時、薬がキレそうな時、薬がキレた時、それぞれ周囲への対応や生活スタイルが違っていた。2022年に病気が判ってから、始めて薬の服用していない旦那様を知った。その後は、病気の治療目的で再度薬の服用が始まり、現在も服用中。それでも、病気が判明する以前に比べると彼の精神状態は安定しているように思う。以前は、彼から一貫性が全く見られなかった。私は、彼を責めてはいない。彼自身、薬の必要があると信じて医療関係者に処方をしてもらっていたと思うから。


だから、彼は、どういう性格?と誰かに聞かれてもわからないと答えると思う。しかし、ただ言えることは、今まで私や息子、日本の家族やお友達に対してして下さった思いや行為に対し有難く思う事。そして、彼のビジネスにおけるdecision making は素晴らしいという事。沢山の学びを経験させて頂いた点で感謝とビジネスに関してはリスペクトの気持ちは大いにある。

日本にいた頃、私は、どちらかというと、日本の窮屈な社会や完璧主義に疲れながらお仕事を含め、生活をしていたような気がする。だから、彼が言ってくれた言葉の幾つかは私を救ってくれたのは確かだ。幾つかご紹介したい。

I love you. I will take care of you and a baby in your tummy. No worries. 
こららの言葉は、私が渡米を決意した時の言葉。英語力が全く無かった私にもわかるような簡単な言葉。彼の言葉を信じて、渡米後は、困難から逃げることも考えず、ひたすら前を向いて解決策を常に見つけながら過ごしてきた。

That's not an end of the world. 
育児の際に、助かった言葉だ。息子と向き合う生活で完璧を求め過ぎて失敗したと思ったときに励みになった暖かい言葉だ。

Thank you. 
彼は、比較的、みんなにこの言葉を言える。

あとは、あまり覚えていない。感情的な言葉を日常生活で頻用されるため、意識的に気に留めない様にしてきた。そうでなければ、私は、彼の感情に振り回されて、生活を過ごしていたと思う。楽じゃない。グランパと比較すると、私の旦那様は、悲観的で感情的、周りに心地よさを与えない、そのように感じる。失礼かもしれないが、どちらもかまってちゃん。グランパの方が、チャーミングで純粋無垢。だから、周りが惹かれるのだと思う。そうだね、グランパ?

グランパが、病院で息を引き取る前、私は、旦那様から電話を受け、寝ていた息子を起こして直ぐに病院に向かった。間に合った。グランパのつけていたHR モニターの波形が徐々に弱々しくなっていたが、グランパは、私と息子に笑顔を見せてくれた。最後まで、私達の会話を聞きながら楽しんでいる様だった。私は、彼とのお別れは、悲しいものより感謝の気持ちと喜びで迎えたかったから、涙をこらえて笑顔でお別れできるよう気丈に振る舞った。彼の血圧は測れなくなり、モニターからカン、カンと音が鳴る様になり、そばにいた医者がモニターの音を消した。HRは最後まで、無くなることはなかったが、医者は、もう、彼は亡くなっているよ、後は任せてと。私は、グランパの右頬にThank you, Granpa。と言いながら、キスをして、退室し、後の処置は、医療従事者にお任せして、グランパの帰宅を待った。

私は、息子や旦那様の為に気丈に振る舞ったが、彼のいない生活に慣れるまで、非常に長い時間を要した。彼の死後、6ヶ月前後は、誰ともお話をしたくなく、家の中を中心に暮らしていたのを覚えている。

私は、グランパに謝らなければいけない事が一つある。彼が亡くなったのは、息子が3年生の頃。彼の無くなる3ヶ月ほど前は、息子の学校のボランテイアの他、日本語学校、そろばん、水泳、野球、カブスカウト、毎日の生活に一杯一杯の日々を過ごしていた。彼のお世話をして下さるケアギバーの方や訪問看護婦もきて下さっていたが、彼の日常的なお世話に消極的に思ってしまっていたのだ。私は、グランパが好きだし、彼も、私の事を渡米後Welcomeしてくれてからずっと、旦那様との口論があっても、育児に躓いても、理由が何であっても、いつも私の味方になってくれていた。しかも、息子には親の私が与えることの出来ない愛やコミュニケーションをとってくれることにより、息子の人格形成に非常にポジテイブな影響をもたらしてくれていることを知っていた。それなのに、私は、グランパを面倒見るのが、ちょっとだけ面倒臭いと思う期間が彼の亡くなる3ヶ月くらい前に1ヶ月ほどあった。そのあとは、気を取り戻して、改めてグランパと真っ直ぐ向き合う決意をして気持ちを新たに暮らし始めたのを覚えている。そうこうしているうちに、グランパは、徐々に車椅子からベッドへの昇降が一人では失敗する回数が増えてきた。糖尿病だけでなく、貧血もかなり進行していたのだった。そして1ヶ月ほどお家で過ごしていたが、訪問看護婦の提案を受け入れ、グランパの入院生活が始まり、その2ヶ月後、彼は、息を引き取りお家に帰ってくる事はなかった。85歳。

旦那様は、グランパの事を時々悪く言う。理由は、彼と彼の奥様は、50歳前後から社交パーテイーに行き、アルコールの摂取量が徐々に増えていき、家に帰ってくる度に、旦那様は、酔っ払って帰ってくる両親の汚したお世話や後片付けをしていたらしいからだ。その上、旦那様のお母様は、アルコールの飲み過ぎにより、肝臓にダメージが生じ、それが彼女の死因となったからだ。

グランパは、奥様を亡くした喪失感を埋めようとして、再婚なさった。しかし、新しい奥様は、グランパをお酒から救う事ができず、離婚を決意したそうだ。その後も、グランパは、お酒を飲み続け、その上、旦那様の兄夫婦と法的に争うことになったそう。その数年後、私と息子はグランパと人生を共にすることになったと旦那様から聞いた。

私の渡米直後から、グランパや旦那様の周りにいる方々は、みんな私には敵に見えていて、私は、息子を始めアメリカの家族を守る使命感に駆られ、生活していたのを覚えている。ある時は、グランパの彼女?が北カリフォルニアからお金目当てに訪問してきたのを知っていたから、私は、隣のお家との間の塀をつたって裏庭に入って来ようとした彼女を追い出したこともあった。グランパ、ごめんなさい!でも、私には、彼女のやっていることがTrespassingにしか思えず、不快だったの。あとは、グランパや旦那様のビジネスをお世話して下さっていた男性もToxicに見え、旦那様を説得して、彼も私たちの生活から追い出した。案の定、グランパが亡くなって1ヶ月も経たない中、彼からお手紙が届き、グランパが彼に未払いのお金があると請求してくる内容のものだった。しかし、弁護士によると法的強要力はなく、事なきを得た。

そんなストレスを多く抱えた当初の生活だが、そのような経験のおかげで、アメリカやアメリカ人の現実を知ったり、人を見る目を養ったり出来たと思うので、感謝をしている。また、どんな状況下でも明るいグランパのお人柄に、何でも大した事はない、かかって来い!と思えたり、勇気とポジテイブさを学んだ。だから、私は、旦那様が思うようなグランパを見ていない。

グランパの死後のサービスの際に、旦那様のお兄様に再会した。その時に、彼は、私に近づいてご挨拶をして下さった。私が、Thank you for coming to see grand-pa. He is such a wonderful person for me. と彼に伝えると涙が溢れ出てきた。しかし、彼は、私に、He was not that good for me. と言って立ち去った。それ以来、私は、彼にもお会いしていない。
私は、複雑な思いだったのを覚えている。私には、非常に愛情深いグランパ。しかし、当の息子たちからは、そうでない一面を知らされるのだったから。だからと言って、私がグランパを嫌いになるかというと、そういう感情さえ抱くことさえなかった。いつも、大好きなグランパだ。今も!

そんなグランパは、私たち家族に歌を披露してくれていた。私には、当時、さっぱり、わからんかった。ただ、覚えているのは、グランパが、Romance, romance, romance.と力強く歌っていた事。そして、ここから天気の良い時に見えるCatalina islandは、26マイル離れているという事だけ。グランパ、私は、今もあなたの事が愛おしく大好き。あなたと一緒に11年過ごした時間は私にとって非常に暖かく、楽しかったよ。私があなたとアメリカの家族やビジネスのためにしてきた事間違っていなければいいのだけどどうだったかな?いつも、天から私たちを見守って下さってありがとう!あなたと出会えた事、光栄です。これからは、どうぞ、旦那様と息子の健康と幸せ、そしてビジネスのprosperity を引き続き見守り支えて下さい。よろしくお願いします。

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