みいちゃんのあいのわ!

人が大好き、歌が大好き

みいちゃんのあいのわ!I am What I am by Veronica Swift

私の住むアメリカ カリフォルニア州オレンジ郡、今日は、暑い!文句ではない。5月に入るのを前に、徐々に日中の気温も上がってきたのが感じられるという様を表現しただけだ。

先日の蠍座満月は、天候不順のため、見ることができなかったが、今日、確認した月は、既に、満月では、なくなっていた。月の満ち欠けは、早いものだ。

みいちゃんのあいのわ!は、私の自由な想像により描かれた私を中心にした人間関係の世界。私が必要な時には、いつも手を差し伸べてくれたり、一緒にactivitiesを楽しんだり、おしゃべりしたり、生きるパッションをくれたり、色々私の人生に活躍してくれている大切な存在ばかり。

 

息子もその一人。明日、24歳のお誕生日を迎える。母としては、非常に嬉しい!

私は、去年9月、病気で治療を受けている旦那様をおいて、北海道に住む家族に息子と一緒に会いに行くことは自分の意志で断念したが、それ以降、私は、両親から息子はいい男になったね、と言われることが増えた。母は、みいちゃんが一生懸命いい子に育てたからだね、とも。それも、嬉しい!もう一回言ってくれないかなあ〜。

 

しかし、私は、自分で育てたと言うより、息子は、社会に育てられたと思っている。理由は、私は、彼が産まれる1ヶ月前に北海道から渡米。日本でいう妊娠35週と5日。もうすぐ、飛行機に搭乗できない期間に入る直前。旦那様は、今、住んでいる地域で暮らしていた。2、3回、きてくれたが、正直、彼を頼りにはしていなかった。なぜかというと、当時、私は、病院勤め。一緒にお仕事をして下さっていた方々、みんなが周産期医療を専門になさっていた方ばかりだったからだ。それは、それは、心強い、力強い存在だった。息子が、私のお腹の中で、心配もせず、すくすく成長できたのは、彼らの温かいご配慮と支援があったからだ。感謝の気持ちは、忘れた事がない。本当に、ありがとうございました。

渡米後、急いで産婦人科の先生を探し、1ヶ月後、無事、息子が産まれた。破水が陣痛より先にあったため、促進剤を使用してのお産。体が小さな私へ、恐らく、一般のアメリカ人並の促進剤が投与されたのであろう。初産にも関わらず、私の陣痛時間は、1時間程度。促進剤投与から1時間半。息子の出産直前の心拍の波形も、出産後の低血糖も、みんな息子へかなりストレスがかかっていた証拠。私自身も、骨盤が張り裂けそうな痛烈な痛みの中、私の主治医は、土曜の午後、ゴルフに出かけていた。息子の頭が出てくるのを感じながら、主治医を待てと言われるのが、非常にしんどかった。息子は、もっとしんどかったであろう。もちろん、今は、そんな体験も笑い話!日本のみどりの日に産まれてきた息子を誇りに思う。今は、昭和の日だんだね?

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彼がどんどん成長する中、私自身もアメリカでの新しい家族や生活に慣れなくてはいけない。学校制度も知らない。彼が、2歳から入ったプレスクールや先生達、学校の先生やお友達、カブスカウト、ボーイスカウト、野球、日本語学校、彼の興味やactitities、学校を通して出会った方々のおかげで 息子は成長させて頂いたようなもの。ありがたい!

今、振り返ると旦那様は、息子が1歳の時から病気がちだった。その時から、私は、母親兼父親にもならないと、と自覚し、心身ともにタフに息子を育てようと遊びの時間を通して試みたのも覚えている。息子は、裸足で駆け回るのが大好きなトドラーだったなあ。

息子の成長に欠かせなかい大事な存在は、グランパ。息子が11歳の時に、一緒に住んでいたグランパは、他界。病院に入院をしていて手術後、夜中に息を引き取った。彼が亡くなる夜、胸騒ぎがあった。旦那様に、病院に電話かけてみたら?と勧め、旦那様は、グランパがERから死の直前に搬送される階に移動になり、命が長くないことを知らされ、直ぐに病院へ車を飛ばした。夜中、10時過ぎだった。息子は、次の日、学校があったので、旦那様からの電話を待ち、11時半頃、グランパの元へ。間に合って良かった。グランパは、最後まで息を引き取ることを拒んでいるようだった。彼の主治医からは、普通のことだと言われたが、私には、グランパのHeart Rate monitor にうつる彼の心拍波形は、なかなか消えず、グランパは最後まで、生き続けていたかったんだ、と感じた。色々な意味で、強い立派なグランパだった。

グランパは、息子には、無償の愛やスマイルを与えてくれた。息子は、車椅子で暮らすグランパを猛スピードで押して、グランパを驚かしたり、グランパも大げさに驚いたふりをしたり、二人は、何とも微笑ましい関係だった。グランパは、息子が始めたばかりの野球を一度見に来てくれた。息子は、ピッチャーをさせてもらった。いいピッチだった。それ以降、体調不良で、観戦して頂くことは叶わなかった。そして、クリスマスには、ご自分の乗っていたメルセデスのコンパーチブルと同じような車をプレゼントしてくれて、グランパが見守る中、息子が近所を乗り回していたのを覚えている。グランパは、コーヒーを飲んだり、アイスクリームを食べに、ファミリーリビングルームに来るたび、息子にちょっかいをかけてくれていた。とても、チャーミングなグランパで、私の祖母でさえ、グランパは、カッコいい、ハンサムだね!と写真を見ながら褒めてくれていた。皮肉にも、グランパが亡くなった2ヶ月後、祖母は、息を引き取った。2011年だった。

 

立派に成長した息子と、彼と5年間お付き合いをしているガールフレンド(GF)と、旦那様と私で、息子のお誕生日をお祝いしようと牛角でランチをしてきた。

GFは、息子より1つ年上の可愛いらしい女性で、いつも息子に恋をしているのが近くで感じられる。今日、彼女は、時々、私は、レストランに行ったら、嘘をついて、今日は、私たちのアニバーサリーなの、と言い、デザートを頂くと。無償のデザートを頂く件に関して、ノーコメントだが、私は、いいね。だって、あなたが、私の息子の事が大好きだから、毎日がハッピーなアニバーサリーだと思うんだよね!いつも、息子を大切に思ってくれたり、楽しい時間を提供して下さってありがとう。と返答した。彼女は、照れたように、隣に座っていた息子の腕を抱えて突っついていた。可愛い!

その後、彼女ともいつも通り、色々な会話をしたが、彼女は、こうも言っていた。息子は、自分の感情を出さないのと。私は、それに対し、息子を責めないでほしい、なぜなら、それは、私や旦那様からきていると思われるから、と返答した。息子は、旦那様と私の微妙な夫婦関係を身近に感じながら、何も言わず、この数年同じ屋根の下で、暮らしてきたのだ。息子にとって、旦那様も私も実の親で良き理解者。両方の気持ちや立場が痛い程わかるのだろう。その板挟みで心を塞いでしまっていたのかもしれない、と私は、自分を責めた。しかし、過去は、変えられない。3月に彼と話をして、旦那様との関係性を見直す期間に入り、それ以降、私自身、自分の心に嘘をついて生きていく事をやめた。恐らく、息子も自身の感情に素直に向き合い、GFや大切に思う方々にはそれを表現できるようになり、自身の心身の健康や幸福を探しながら良いバランスを取れた人生を全うすることになるであろう。そうあってほしい。

 

そんな息子に、母である私が送りたいジャズソングは、I am What I am by Veronica Swift。
私が好きな歌の一つである。歌えるか?と聞かれると、NO! 難しすぎます。彼女のこの歌を聴くと、ジャズ、クラシック、ミュージカル、ロック、マルチなジャンルで構成されているのがわかる。彼女の両親もジャズミュージシャンであること。それを自分のルーツとして、authentic でありたい、そして、私たち聞き手には、Be yourself!でありなさい、とメッセージが込められた熱い一曲だ。

息子にも、そのメッセージを伝えたいと同時に、母からは、親から授かった命を大切に、心身の健康に留意し、自尊心や自己への敬意を忘れず、自分はどういう生き方をすれば幸福を感じるか、また、自分は他者より優れていることは何かを常に探しながら、一生懸命自分らしく生きてほしいということ。母は、息子の自立のために、見えないへそのを先日、イマジネーションの中で切りましたが、いつまでも、息子を愛する気持ちは持ち続けています。あなたはできる!いつも、あなたの可能性や能力を信じてます。

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人間の心の中には生まれつきある音楽が流れていてそれに似た曲を人は好きになるんだとか。「自分の曲」は何だろうといつも考えながら歌詞を和訳しています。 I have heard that every one of us has a special music running deep inside our soul and whatever music we love in our lives has something in common with it. I always translate English lyrics into Japanese, wondering what my music sounds like.


およげ!対訳くん、素晴らしいこと言うね!
シンプルだけど、心に問いかけるようなメッセージは大好きです。この曲の対訳、ありがとうございます。